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2012年10月15日 (月曜日)

自死者は浮かばれない・・・

東日本大震災において、私は家族の誰一人を失うことなく無事に避難する事が出来ました。Hの会の参加者は空に浮かぶ雲を見ては「息子に似ている」と一喜一憂する毎日で、一年半を過ぎた現在でもその心情は私のような、遺族でない者とは違います。Hの会の機関誌の原稿依頼を告げられた時も正直に「書けないよ」と即答しました。心の深いところにある悲しみの塊に私の手は届かないだろうと思っていました。しかし、私と遺族達が共感した言葉がありました。それは「再び会える」という宗教の救いの言葉でした。この世で死に別れた人と、次の世界、つまり彼(あ)の世で再会できると話した時、参加者は一気に祈りの方向へ針路を変えました。会いたい一心で毎月十一日に祈りの会が始まりました。自分の命を殺めて早く会いに行こうとしたら駄目です。会えませんからね。待ち遠しいけれども寿命を全うしてお土産話を袋に詰め込んで会いに行くのだと伝えました。祈りの生活をおくるとは、神の愛の言葉や仏の慈悲のお諭しに向き合って、体内に取り込んで生きることです。それまで宗教・仏教・お経に縁が浅かった人たちが懸命に読経し始めました。さらに私は参加者に伝えました。「あなたたちの亡くなった大事な人はあなた自らを殺めることなく正しい生き方をさせようとする善知識という導き手になっているのです。亡き人に導かれていくこの世の生活をしていくのです。」と伝えました。正直待つことは辛いですね。でも亡き人と会いたいからこそ祈りの生活をしましょうと伝えている日々です。
SK寺 副住職 H

裏を返せば、自死した母に会いたいのなら私も自死しなければ永遠に会えないということになる。
自死した人の魂はキリストもブッタもお釈迦様も某新興宗教の教祖様も救って下さらないのなら、やはり私は地獄に落ちてもいいから自死してでも母に会いたい。それが罪であっても私は構わない。
今すぐ会って伝えたい事が沢山あるのでこの場で自死しますと言ったら、彼は何と答えるのだろう。多分どうしても会いたいのなら同じ道を歩む事を進めるだろう。それが彼の信念ならば・・・

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